紙面の質の高さに感嘆したのだ。
明らかに他紙を圧倒し、「悔しいけど、こんな中身の濃い紙面を作る新聞があることが嬉しい」と同業他社の記者に言わしめた。さらには、読者・関係者から称賛の声が相次いだそうだ。(新聞之新聞より)
主な内容は以下の通り。
■1945年8月15日付の毎日新聞(東京本社版)の紙面を掲載

①総論 ②詔書 ③内閣告諭 ⑤社説 ⑥経過 ⑨ポツダム宣言 ⑩コラム ④⑦⑧毎日新聞 の決意表明と1面の記事の解説。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び・・・」と、8月15日正午から流れた「玉音放送」で、昭和天皇が読み上げた「詔書」や、米英中ソ4国が日本に対して発した、降伏条件と戦後処理を定めた「ポツダム宣言」の全文を掲載している。
また物資不足のため、表裏の計2ページで構成されている。2面の内容は広島原爆関連の記事が紙面の「7割近く」を埋める。
戦前・戦中は厳重な言論統制の下、各紙とも徹底抗戦を掲げていた。新聞はこの深い反省に立って戦後の再出発をしたのである。読売や産経も50、60年代は健全な野党精神───たとえばベトナム戦争では米支持の日本政府に対して、各紙は戦争の悲惨さを訴えた───であったのだ。しかし、70年代に産経が、80年代には読売が論調を翻して政府支持に回り、現在の「新聞論調二極化」という状況が生まれる。論調の対立は、イラク戦争や改憲論議など、近年益々深化傾向にある。無論、多様な論調の存在は歓迎すべきで、健全な言論体制であるといえる。
■全面広告、テレビ番組欄を除く28の面に計173枚の写真を載せ、1945~2005年までの戦後60年を歩みを振り返る「グラフ戦後60年」
先頭の写真は、1945年8月15日 終戦(皇居前で土下座する人々)から始まり、最後の写真は、記憶に新しい2005年4月25日 尼崎脱線事故まで。何枚か接写したものを下に紹介する。

1945年9月27日 元帥と天皇陛下(昭和天皇が米大使館にマッカーサー元帥を訪問)

1948年11月12日 東京裁判判決(直立して絞首刑の判決を聞く東条英機被告)

1949年10月1日 中華人民共和国成立(成立宣言を読み上げる毛沢東主席)

1951年9月8日 サンフランシスコ講和会議(対日平和条約に調印する吉田茂主席全権。同日、日米安保条約も調印)

1961年4月12日 人類初の宇宙旅行(ボストーク1号で地球を1周、帰還したソ連のガガーリン少佐)

1966年6月29日 ビートルズ来日(法被姿でタラップを下りるメンバー)

1972年9月29日 日中国交正常化(田中角栄首相(左)と周恩来首相)
■著名人10人へのインタビュー記事。1945年8月15日を「その時、子どもだった」と述懐する
歌手 加藤登紀子さん(61)───生きるために歩いた
落語家 笑福亭仁鶴さん(68)───大切なもの置いてきた
女優 有馬稲子さん(73)───街は白一色の渦になった
デザイナー 桂由美さん───美へのあこがれ強く
元横綱大鵬 納谷幸喜さん(65)───夜ごと砲撃 花火のよう
元プロ野球選手 張本勲さん(65)───血に染まった母親の洋服
作家 梁石日さん(68)───黒い雨がボタリ、ボタリ
女優 中原ひとみさん(69)───語り継ぐことの大切さ
徳島史学会長 湯浅良幸さん(75)───〝歴史の生き証人に〟
ルポライター 鎌田慧さん(67)───正座して涙する両親
その他の面でも関連記事が載せられた。
冒頭に表示した写真にあるように、1面には戦争の評価や認識などについて同社の世論調査結果が記されている。「『やむを得ない戦争』は自衛戦争、『間違った戦争』は侵略性のある戦争を指す」(評論家保阪正康氏)
戦争評価について、世代別に見ると、「戦争を体験した70代以上では『やむを得ない』(45%)が『間違った戦争』(37%)を上回」っている。一驚を喫する結果であるが、自らが生き抜いた時代を否定するのは辛いものなのであろう。
また、「日本が米国や中国と戦ったことについてどの程度知っているか」という設問に対して、20~30代では「あまり知らない」が30%を越えるなど、戦争の風化が進んでいるようだ。
9月11日の衆院総選挙で自民党が雪崩的、地すべり的圧勝を収め、全議席の3分の2を超える議席数を与党で獲得した。原因の一つに、都市部の無党派層が大きく貢献したとされる。
果たして彼らは、自民党の郵政民営化以外の政策を少しでも知っているのだろうか。自民党のマニフェストの右の部分、「024.新憲法制定への取り組みを本格化」や「111.防衛庁を『省』に、自衛官の一層の名誉と誇りを(中略)自衛官に国民が敬意と感謝の念を持つよう努める」など。
同調査によると、「近い将来に日本が外国と戦争する可能性があると思う」が20代で34%を占める。煽動される政治的無関心。寒心に堪えない。
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