2006年09月15日
●阿部謹也 『「世間」とは何か』
「世間は社会とは違う」
絶対的な神との契約によって自己を形成した「個人」が、まず前提にある。そしてその「個人」の集団を「社会」という。これが西洋の概念。
一方、日本では明治10年に「society」の訳語として「社会」という言葉が作られた。その約7年後「個人」が「individual」の訳語として定着する。それまで日本には「社会」や「個人」という概念はなかった。あったのは「世間」。排他的で差別的な構造をはらんだ「世間」だった。
21世紀を迎えた現在でも、いまだ日本には「個人」という概念が十分に確立、浸透していないように思う。日本版の個人は、世間との関係の中で生まれたもので、個人の尊厳より、世間体を大事にすることがよくある。
左半身が不自由な妻が病弱な夫と暮らしていた。仲の良い夫婦であったという。二人は月に約六万五千円の生活保護を受け、それと妻の障害基礎年金額七十四万円だけで暮らしていた。ところが近所の人たちから「おらたちの税金で食ってやがる」という陰口をきかれ、妻はそれを常に苦にしていた。「肩身が狭い」というのが妻の口癖になり、「私らは世間から相手にされないんだ」ともらしていた。世間の陰口に耐えられなくなった妻が別れ話を持ち出したために夫は妻を殺してしまったのである。
他人との関係が希薄になったといわれる現代でも、僕たちはいつも世間の目を気にして生きている。なんとも窮屈な感じを受けるが、しかし、特に優れた能力を持たない人にとってみればどうだろう。世間の掟を守ってさえいれば、地位や年齢によって、それなりの位置を保てる。競争社会よりずっといい。こう考える日本人は決して少なくない。
この書は、中世から世間がどのように捉えられてきたかを分析し、世間の問題を明らかにしている。著者は、世間のあり方の中での個人の位置について「日本の社会から世間がまったくなくなってしまうとは考えていない。しかしその中での個人についてはもう少し闊達なあり方を考えなければならない」と述べている。
2006年9月4日午後9時37分、急性心不全のために東京都新宿区の病院で死去、71歳―。
阿部謹也の死を報じる記事を読んだ。
Posted by yu-topian at 2006年09月15日 23:43
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