2006年07月05日
●チェキダッチョウ!-結婚式編-
徳島市内にある緑に囲まれたチャペル。祭壇の奥は一面ガラス張り。新郎新婦と牧師の背景には、鮮やかな緑に覆われた山々が広がり、そよそよと吹く風が木の葉を静かに揺らせている―。
5月27日、高校の同級生Tとその妻Ⅰが、清幽な雰囲気の礼拝堂で誓いを交わした。
- 牧師
- 「汝は、病めるときも健やかなるときも、これを愛し、敬い、助け、慰め、固く節操を守ることを誓いますか?」
- Ⅰ
- 「ハイ、誓います」
- 牧師
- 「アーメン」
10年来の友達。同級生の中では第1号だ。偲ぶ思い出も少なくない。列席者の中には、久しぶりに顔を合わせる旧友もいた。庭に面したヨーロッパ風のパーティホールで、懐かしい話に花が咲く。
Tの友人、Ⅰの友人がそれぞれ代表してスピーチを披露する。ケーキ入刀、キャンドルサービス…。おいしい料理、弾む会話。楽しい時間はあっという間に過ぎる。
パーティーの最後は新郎新婦の退場シーン。堂々と謝辞を述べるTの姿に僕たちは感動し、祝福した。
しかし、このとき新郎Tは、一つだけ隠していたことがあった。
その秘め事とは…
つづく。
2006年07月02日
●午前7時40分の結婚観
現在、午前7時40分。
久しぶりに朝まで飲み明かした。1時間前に帰宅。すぐベッドに吸い込まれるかと思ったが、なぜか寝付けない。妙なテンションだ。ヒマなので何か書く。
曰く、第1波が来ているらしい。
同年輩の友達が、立て続けに結婚式を挙げている。
昨日も一つ年上の友達の式があった。参列者の既婚率もグンと上昇している。未婚の僕がこんなことを書くと「焦っているのか」と思われそうだが、そういうわけではない。ただ、出席するたびに、結婚観を改めるようになってきた。
たいていの恋愛の結果は、絶望か幻滅。そして、最もましなケースでも、2人で子どもを育てるために現実の苦労に耐えること、である。この最もましなケースが結婚であり、これが最大の幸福であると、一般的に喧伝されている(賛美論、悲観論、色々あるが中庸するとこんなところだろう)。
ひねくれ者の僕は、その従来型の価値観(結婚=幸福)を否定してきた。まだまだ遊び足りないと、失われる自由にばかり目を向けて。
しかし、相次ぐ心知りの結婚が、それを覆した。
ロシアの小説家・思想家、トルストイの『アンナ・カレーニナ』はこんな言葉から始まる。
幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。
確かに不幸な家庭は千差万別だが、幸福な家庭の本質──従来型の価値観──、は、変わりないのかもしれない。こう思うようになった。つまり、結婚を是認し肯定するように心境が変化した。
したがって、結婚した友達には心から言える。
「おめでとう」
